思っている事
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2002/08/04:「あきらめ癖」が私にとりつてだいぶ長い
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この小さな星、地球の上で生きる生命の一つである人間が、みごとに作り上げた多くの問題は、「時間に比例し小さくなり、解決するものではなく。それらの問題は時間に比例し巨大化し、悪化していくものである」という理論と証明を、今の時代からいやなほど見せられてきたからかもしれない。しかし夢カレに参加させてもらって、その活動を通してメンバーのみんなから、その「あきらめ癖」を吹き飛ばせるほどの多くのエネルギーをもらうことができた。そう思いこんでいる今日この頃の私である。   夢カレ、バンザーイ! 


 2002/06/18:「夢中」という「ウイルス」    学校週5日制について思うこと
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私が小学生のころでも二日連休とかが時々あった。だからそれの連続バージョンって思えば気にもしていませんでした。学習時間の減少が学力低下になるのではないかという親達の不安のことが新聞マスコミ等で騒がれたのには驚いた。私は勉強することが子供の未来の幸せの始まりだとは思っていません。その二日間が子供にとって「夢中」になれるものに出会える時間になったり、その出会えたものが育つ時間であってほしい。出会うためにもそれが育つためにも、親はもちろん、先生も地域の人々も社会やメディアからも「夢中」になれる素敵な素材や環境の提供を心から望んでいます。子供と「夢中」の出会いはカゼのようなもの。いろんな種類の「夢中」という「ウイルス」に感染し、そのカゼは三日で終わる人もいれば一生続く人もいる。
未来のある日、かつて知識の量を競い合った人間達や、コンピューターやインターネットで電子社会を自由に踊る人間たちも、それら様々な固定された価値観で完成した過去の人間達がみょうにおかしく見える時がくる。人間の本質とは何なのか未来の人達は知っている。  そう私は信じている。


2002/04/01:ニューヨークの君へ
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ニューヨークのあつし君、お元気ですか? 私は、あなたのお母さんの弟のさとしです。 サトシおじさん、Uncle Satoshi です これで正しいのかな?  ニューヨークで青春時代を過ごせるあつし君、日本で同じ時代を過ごす同世代の人々と、どんな違いが起こるのでしょう。 どんなものを吸収して生きていくのでしょうか? それは知識や学問なのでしょうか? おじさんには紙の上の文字よりも、あつし君自身の体験こそが、とても大切で貴重なものだと思います。日本にいる友人や母親、兄弟たち、ニューヨークでできた新しい友達、自分をとりまく人の間で生きているからこそあつし君の心や人間性が成長していくのだと思います。 ぜひ、あつし君がアメリカで楽しい多くの思い出をつくれることを願っています。これって説教地味てるね。  おじさんのような年齢になると、どうにも言いたくて言いたくてしかたがないのです。チョットの間だけ聞いてください 。  私は「体験こそ全て!」だと思って生きています。(もちろん本も知識も重要です。 知識も自分の中にだけしまっていたんじゃ問題です。せっかく自分が求めたものなのだかから、それを誰かにいかにやさしく自分の言葉にして話せるかが重要です)しかしその人間がどんな素敵な考えを持っているか、人とどんなに楽しくおしゃべりがが出来るかだと思う。そして欲を言えばその人が何を作るかだと思っています。新しいもの創造する、クリエイティブな人間であるかが私にとっては気になるところです。 オリジナリティーは何から生まれると思いますか? 自分自身の生活そのもの、自分だけしか知らない自分の体験から生まれます。自分のなかで様々な新しい価値観が誕生し変化し自分が形作られる。そして自分風の考えを自分風の伝え方、話し方で相手に伝えていく。あつし君がどんどん成長していくそのものです。 おじさんにとって18歳、19歳を過ぎた頃がとても充実していたような気がします。 ニューヨークでの君の体験が、君自身の人生の大きな糧となることを、はるか日本から祈っています。 お元気で  サトシ
追伸 現在の私はコンピューターや宇宙、天体に夢中で今もなお青春です、人生を楽しんでいます。 私の管理している針生天文台があるのです。(惑星はもちろん、星雲や星団も良く見ることの出来る大きな望遠鏡があるのです) コンピューターは5台くらいで遊んでいます。日記のようにデジタルカメラで毎日を撮り続けています。 (2001年3月21日エアメールにて投函)


2002/03/08:徹底討論ふくしま21 生放送!学校が変わるへメールしてみた。
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いつもNHKの番組、特にクローズアップ現代、NHKスペシャル、ETV2000、金曜フォーラム、視点論点など、のめり込んで見ている一人です。素晴らしい番組に感謝しております。そんな私ですが最近日本の教育、子供の未来、少しも変わらない教育に対する価値観など、気になってしかたがないのです。私がいつも強く感じていること、言いたくてしょうがないことをメールとしてここに発信します。
一人の平凡な男の「けち」「ぐち」だけのつもりではありません。聞いてください。
2002年3月1日のテレビ番組生放送  第一部 夕方4:59から  第2部夜7:30から

次 第
「教育に対する革命的アイディアが生まれない理由」
「知導説(ちどうせつ)を信じている日本人」
「今の教育に言いたいこと」
「もうひとつの知識の置き場所をみつけたのに」
「未来人達は知っている」
「人の輝きが星の光を見るように心地よかったら」
「もし素敵な男、素敵な女、素敵な大人になりたいのなら」
「教育について、ふと思ったこと」
こんなに有識者達に対してのゆがんだ私の考えなど、もちろんとりあげることはなかったけどね。でも読み上げられるのはみなFAXだけだったみたいです。生放送で私のような抽象的な具体性の無い意見はナンセンスのようでした。でも番組の中での討論は、生放送ということもあって、結局、先生や学校という現場の変化、地域の変化への不安など、子供という人間そのもの中身など、大切な部分はこういう討論のばでは不似合いだったようだし、当然といえば当然、つかみ所もないし抽象的、具体的部分へ確信へ迫るのは無理のようでした。こんなもんかな?って・・カンジ・・でした。


2002/03/07:未来人達は知っている
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未来のある日、かつて知識の量を競い合った人間達も、コンピューターやインターネットで電子社会を自由に踊る人間たちも、持っているお金の量やどんな家に住んで、持っている物の量を競い合っていた人間達も、宗教の違いで互いに憎しみ競い合っていた人間達も、それら様々な固定された価値観で完成した過去の人間達があまりにも小さな存在で、おかしくおろかに見えるときがくるのかもしれない。人間の本質とは何なのか未来人達は知っている。 そう私は信じている。


2002/03/06:もし素敵な男、素敵な女、素敵な大人になりたいのなら
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もし君が、素敵な男、素敵な女、素敵な大人になりたいと思うなら、簡単です。歌を歌って、人とおしゃべりを楽しみ、心を磨き、スポーツ、ダンスや武道でもやっていれば素敵な男、素敵な女、素敵な大人になれるはず。できれば虫歯が一本も無く。背の高さが一八〇程度????(これは私個人的願望で、大きくなれなかった自分への反省、牛乳でも飲んでいれば誰だって大きくなれる)、ユーモアがあって宇宙や地球上の出来事に興味があって、人間の悲しむ顔に心痛め、いつかその人たちの苦痛を取り除けるような人間になっていようとする。いいえ、いつのまにかそんな人間になっているはず・・・。 「素敵な男、素敵な女、素敵な大人になりたい」などと思うことも無く、誰に指示されることも、強制されることもなく、自然に本能的にそんな素敵な人間になっている。そんな世の中でありますように・・・・


2002/03/05:人の輝きが星の光を見るように心地よかったら、世の中がどんなに平和でありましょう
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人の輝きが星の光を見るように心地よかったら、世の中がどんなに平和でありましょう。私にとって素敵な人とは、全ての人間が持っている様々な輝きを見ることのできる人間です。その輝きとは、決してノーベル賞をもらった人、金メダルを手にした人、東大をでて知識のいっぱいある人、政治家になって大金持ちになった人ではありません。人間の本当に大切なものを持ち続け、生きている人はみな輝いているのです。そして自分の輝きに気づいた人は、他の人の輝きを見ることもできます。その人の優しさや、感性や、さらには真実の輝きをも見ることができるのです。人間には、みなそれぞれに星と同じように輝きがあるのです。星空のように輝きはまばらです。それだから星空は美しい。輝きは違っていても、それらの星々の本当の大きさは、決して今の輝きに比例しているものではない。人の輝きが星の光を見るように心地よかったら、世の中がどんなに平和でありましょう。今の君がどんなことに興味を持ち、どんな価値観が君の中で育とうとしているのかが、私には興味があります。 私には、そんな今の君が輝いて見えました。


2002/03/04:もうひとつの知識の置き場所をみつけたのに・・・・ (今の教育に言いたいこと)
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人間はこんなに便利なコンピューターという道具を手に入れたのに人間の脳への知識詰め込み作業をやめようとしない。知識や情報の置き場所を人間の脳ではなくコンピューターや電子ネットワーク(インターネット世界)の中に見つけたはずなのに、文部科学省や学校は、相変わらず知識を人間の脳ミソの中に置こうとしています。今は江戸時代でも、昭和でもありません。未来のはずです。未来人たちは今の人間がコンピューターが脳作業(人間の脳への知識詰め込み行動)から解放してくれる道具であることに気づいていない現代人たちの姿をコッケイに、そして歯がゆい思いで見ているのではないだろうか。人間の知識詰め込みという脳作業の時代にさよならできる今なのに、人々はそのことに気づいていない。それまで人間が自分の脳を使ってやってきた知識を貯めておき、いつでも取り出したりする行為を、人間に代わってコンピューターという道具がやってくれる。何度も言うが、そのコンピューターが人間の知識詰め込みの脳作業から解放してくれるのだ。自動車の出現によって隣町の恋人に会うのに一日かかったのが30分も車で走れば会えるのだ。 10人で一週間かかった農作業がトラクターが2時間で終してしまう。 人間が作り上げた道具が、恋人への切ない思いを解消し、多くの肉体労働から人間を解放したのだ。もしコンピューターが人間の知識の置き場所としての脳の役割を解放することができるとしたら、その時こそ我々は自分の脳をもっと素敵な感性とか、芸術性、創造性や優しさ、人間の本質を育てることに使うことができるのではないだろうか。自分の脳なのだから、自分の為に使おうよ!自分の脳なのに、他人の押しつけた情報の置き場所に使うのはやめましょう。 もし今の自分には要らないけれど、いつか役立つ時が来るような予感がする情報ならとりあえず、コンピューターにしまっておき、もしかして20年30年たったころ、ある歳になったとき、その情報が自分のために生き返るかもしれません。 
人々が「知識の量」ではなく、その人の本質によって様々に輝ける時代がやってくるのだ。


2002/03/03:「知導説(ちどうせつ)」を信じている日本人
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「これからの新しい日本の教育」、「情報化の波」、「IT社会」をトレンディーであると勘違いしてる日本人が多い。かつて天動説を否定し、地動説を主張したガリレオがいたように、人間の本質とは、知主導説(知識の量の多さのが人間の価値に比例する説)に異を主張するときが来たのだ。今の日本人のほとんどは、知導説(ちどうせつ)を日本人が信じている。これってとっても未来チックじゃないよね。 とても残念です。


2002/03/02:教育に対する革命的アイディアが生まれない理由
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もしたった今、地球上の誰かが教育に対する革命的アイディアを発見したとしても、人々はその人のアイディアをすぐに取り上げることはないだろう。その人間に付いたラベルを見て評価するだろう。そしてノーラベルであったら、そのアイディアは、ある地球人の寝言として消えていくのだ。そのラベルとは「・・・大学教授、・・・研究家、・・・評論家、・・・大臣、・・・心理学者など」である。別な表現をすれば「有識者達」である。それは学歴社会の勝者たちであり、日本の社会が人生の成功者としてその人間に付けたブランド品としての証明のラベルである。討論会、研究会、フォーラムなどには当然のごとく必需品、いや必需人である。その存在や立場はとても重要だが、それらの分野のプロということは、その分野の価値観や視点でしかそのテーマを見れないことになる。世間の人々は「それだから素晴らしいアイディアが生まれるんだ」と言うかもしれないが、20年も30年もの間、何万人ものそれらラベルのついた人々が、何万回もの研究会、フォーラムなどで教育が論じられ素晴らしいアイディアが生まれてこなかったという事実、そして大きな変化が無かったことが証明しています。

特に今回の番組のように教育を論じる場合、学歴社会(日本の教育シズテム)の勝者たちのラベルの持った人々が、そこに集まり、今の教育問題、今の教育全体、学校というもの、先生というものの存在理由など、その全体を見渡すことができるのだろうか。学歴社会の敗者、あるいはどちらでもない人々からの視点でものを述べることができるのだろうか、疑問である。 (ただ、そのためにこうしてNHKは、教育に対する一般の人々の考え、つまり有識者及び、有識者以外の人々、ノーラベル、ノーブランドの人間たちの意見をEメールによって聞こうとしている訳で、深く感謝しています)


2002/03/01:教育について、ふと思ったこと
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●いじめや不登校など、様々な学校での問題が目立つようになると。それまでの学校だけの授業では、子供達に伝えられない何かがあるらしいことに気づく。すると国は「ゆとりの教育」を叫び、勉強以外のことで、何かを見つけられるのではないかと、学校を週5日制にした。すると今度は、親達の間から学力低下が心配されるという声が上がる。あわてて、文部科学省は家での宿題などで、自宅での学習を進める方針を発信する。 私立校はそのことで子供達の学力の低下につながるとのことで以前のままでいく方針を決める。あわてて国は、国が決めたことだから私立の学校もそうしてくれと頼む。 学力差でも生じてしまうのが心配なのだろうか。まるでお粗末なキャッチボールにしか見えない。
●土曜日も学校に行きたくてしかたがない子供もいるらしい。決して勉強がしたいわけじゃなく、友達と会えるからだという。その少年はこれからその土曜日をどう過ごせば良いのだろう。国も学校も親達も、社会も、子供達の未来、人間の本当に大切なもを見ようとはしていない。 学校にいる時間が長ければ長いほど優秀な人間が育つのなら、休みなど作らないで一生勉強していれば良い。世の中の親達の中には、迷わず子供にそんな選択をさせようと人間もいるのだ。将来は総理大臣になろうとたくらんでいる人種なのだろう。
●人間の学力って学ぼうとする力のことを言っているんでしょう。学力って、覚えた知識の量の多さをさしているんじゃないでしょう。 探求心、知りたいと思う欲求、アフガニスタンやアフリカの学校の無い子供達のインタビューをニュースで聞くことがあった。なぜ勉強しているんですか?「私が学んだことを、あの子供達に今度は私が教えられれば良いと持っています」後ろで遊ぶ貧しい子供達を指差して彼女は答えた。 住んでる社会が違うといえばそれだけかも知れないが・・・・彼女の学びに対する考えと日本人のそれとの何と比較にならないことか・・純粋に学ぶということはシンプルであって、知りたい自分の体の中に(決して脳ではありません、つまり知識(脳)も知恵(モラル)も、体験(小脳)も含めて体全体)取込もうとする意欲のようなものである。ある人が「学校の授業とは先生の意図がそこには必要で、子供達に身につくためのプログラム、マニュアルが必要だ。教育の基本は読み書きだ」だそうだ。文字など無かった時代には人間はずーっと朝からおしゃべりしたに違いない。何千年も前ギリシャでは、500年くらい人間とは、宇宙とはと朝から晩までおしゃべりしていたに違いない。だから哲学なんかが進化してしまうのだ。なぜ文字ありき、「読み書き」なのか? 「読み書き」できぬ私の持論は「話す聞く」である。


2001/12/10:その5   「知導説」を信じている日本人
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もし子供のうちにいい男になるのは簡単だ。心を磨き、歌を歌って、人とおしゃべりを楽しみ、武道でもやっていればいい男になれると私は信じている。虫歯が一本も無く。背の高さが一八〇程度????、ユーモアがあって宇宙や地球上の出来事に興味があって、人間の悲しむ顔に心痛めて、いつかその人たちの苦痛を取り除けるような人間になっていようとする。「これからが新しい日本の教育」、「情報化の波」をトレンディーであると勘違いしてる人々が多い。かつて天動説を否定し、地動説を主張したガリレオがいたように、人間の本質とは、知主導説(知識の量の多さのが人間の価値に比例する説)に異を主張するときが来たのだ。今の日本人のほとんどは、知導説を日本人が信じている。これってとっても未来チックじゃないよね。 残念です。


2001/12/09:その4  目に見える部分だけで人間を評価してきた時代とはさよなら
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人間には試験の点数や成績などとは別に、目に見えぬ部分の存在をしること、そのどの部分が自分が今まさに興味があってどんなふうにすればそれがのびるのか?どうすればそのレベルが伸びて、自分の目指す波形をいかにイメージして生きていくことが大切なのではないか。大人になって勉強したい気分になるのは、自己が明確になり、自分の人生を、明確に振り返れる年になったから???・・・子供自身が、この見えない本当の人間の大切な部分の存在を気にして生きることは難しい。しかし、その役割は親だったり、周りの大人だったり、先生だったりするのだ。 目に見える部分だけで人間を評価してきた時代とはさよならです。


2001/12/08:その3  知の詰め込みから解き放せ
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自由な発想、先生自体、自由な発想したことがない、昔、学校で思考リミッターを取り付けられて大きくなった人間なのだから難しい。しかしその自分のリミッターの存在を謙虚に受け止め、子供たちと一緒にその思考リミッターを外すときがきたのだ。子供の可能性って何、子供のどの辺にあると思いますか。頭の中でしょうか。DNAの中にあるのでしょうか。


2001/12/07:その2  「心の教育」への反論
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教育問題の特別番組など見ると的はずれのセリフが多くて耳が痛い。苦しい。変わりばえのないセリフ。そもそも教育問題を論じている人種自体が、知的階級で、日本の社会を牛耳っている人間なのだ。日本教育の勝者なのに、そこから何が生まれるというのだ。心が本の中自分の読んだ小説の中から授かったとか思っている人間たちなのです。「心の教育」という表現が変であることなく。トレードマークのように世の中を泳いでいくのだからこれまた不思議である。偉い人の言った言葉は絶対なのだろう。もちろん学校の生活の中でも心は生まれるのも確かだが、その人間が生きてるすべてが心が自然に生まれていくのだ。インスタントラーメンがはやり、インスタント的にこの教科書5ページをこなせば心が5パーセント身に付くとでも思っているのだろうか。知を選んだ人々よ!かんちがいするのはよしましょう。その子供たちの親ももちろん変である。そんな日本の教育のずぅーっと変わりばえのない中で育った自分、その自分が今度自分の子こどもにさらなる同じ教育の波と同じことさせようとしているのだ。 そして自分が勉強しないで今のようになったことを嘆き自分の子には教育をと思っているのだ。教育が悪いと言っているのではない。今の教育システム自体が変だといっているのだ。体験の時間を増やします。自由研究、自由な発想を、個性を育てます。いったいなにでやろうとしいるのでしょうか。その手段が2002年からのカリキュラム???????変です。


2001/12/06:その1  言いたくてしょうがない
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日本人の価値観がひどく狭い範囲でしか物事を見ることのできぬことが心配である。おしゃべりも苦手、人生や価値観について、自分の持つそれまでの人生で得た哲学を話そうとしない。習慣がないのだ。照れがあるのか、とてつもない学者でもなければ話せないとでも思っているのだろうか。学者のように難しい言葉でも使わなければ話せないとでも思っているのだろうか。私には不思議である。うぬぼれ、思考だけを楽しんでこの机から離れようとしない人種である私・・・・・・・でもこのことを今伝えたくて伝えたくてしょうがないのである。 言いたくてしょうがない。


2001/12/02:学校、教育に対する誤った価値観
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学校は、感性を磨き、人間性を磨き、自分を更に輝かせるはずのものと信じている人がいるようだけれど、今の学校や教育は、感性や輝きを砂で削り丸みを付けて、感性を鈍らせ、感動を消し去り、心にいつも霧が立ちこめているような人間を育てるマイナスの力を持っている可能性もあるのだ。無限の可能性のはずの子供が、いくつもの可能性を抜き取られ、一つの可能性をも持つことなく、10年以上も四角の箱の中で過ごすのだ。 知らず知らずに親たちはそれを良きとし、学校に行かないより行かせた方がましだと考えているのだ。 自分の子を学校に行かせ続け、いつのまにか大切なものを落としてきて十代が終わるのかもしれない。 それが今の日本の教育なのかもしれない。学校でやることは、知識の詰め込みです。 自分の欲しているものならまだしも、誰かが決めた「人間賢く、一生を送るために知っておくべき知識」などと叫びながら教科書は作られている。はたしてそんなに人間に重要な事って教科書の中に書かれているんでしょうか。


2001/12/01:15才の君へのメッセージ(相澤くんへ)
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考える時間は大人になったらますます少なくなることはない。それは君しだいだし、もちろん15才のそんな風に感じてる今の君そのものが、未来の君の思考や思想の基本形だと思うけど。価値観は歳と共に少しずつ変わっていきます。 素敵な価値観や思想を持った自分になるためには「いい本に出会うことだよ」と文系や文字派の人は君にアドバイスするだろうけど。私だったら、素敵な大人に出会うこと、素敵な映画に出会うこと、素敵な友達に出会うこと、素敵な恋人に出会うこと、素敵な歌に出会うこと、そして数冊の素敵な本に出会えればそれで良いと思う。 もちろんいつも君を守っている身近な素敵な大人たちのいることも忘れてはいけない。


2001/11/30:人の輝きが星の光を見るように心地よかったら、世の中がどんなに平和でありましょう
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私にとって素敵な人とは、全ての人間が持っている様々な輝きを見ることのできる人間です。
その輝きとは、決してノーベル賞をもらった人、金メダルを手にした人、東大をでて知識のいっぱいある人、政治家になって大金持ちになった人ではありません。人間の本当に大切なものを持ち続け生きている人は、みな輝いているのです。そして自分の輝きに気づいた人は、他の人の輝きを見ることもできます。その人の優しさや、感性や、さらには真実の輝きをも見ることができるのです。人間には、みなそれぞれに星と同じように輝きがあるのです。星空のように輝きはまばらです。それだから星空は美しい。輝きは違っていても、それらの星々の本当の大きさは、決して今の輝きに比例しているものではない。人の輝きが星の光を見るように心地よかったら、世の中がどんなに平和でありましょう。今の君がどんなことに興味を持ち、どんな価値観が君の中で育とうとしているのかが、私には興味があります。 私には、そんな今の君が輝いて見えました。


2001/11/29:今の日本の教育に大きな革命的な変化が起きない理由
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「知識」の置く場所を「脳」と決めつけている人々の存在である。 「知識の量」イコール「偉い人」イコール「人生の勝利者」なのだという価値観を持った人間の存在である。世の中の偉い人々、社会を中心的に動かしている人々、つまり「有識者たち」がみなその価値観で育った勝利者たちだからである。 彼らは自分に染みついたその価値観の重力から脱出できずにいるのだ。自分たちが選択してきた価値観だから気づくことはできなかったし、生理的に気づきたくないのかもしれない。これが日本の教育に大きな革命的な変化が起きない理由である。 時代は変わったのだ、100年以上も前の江戸時代と同じ価値観で教育がなされているのだからおかしなものである。もう「未来」と呼ばれても良いころなのに、教育は相変わらず原始的なのだ。
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●●今の教育に言いたいこと●●
ならば、学校や教育はどうあるべきなのでしょうか?私には提言があります。笑って聞いて下さい。
●知識の置き場所をみつけたのに・・・・こんなに便利なコンピューターという道具を手に入れたのに人間の脳への知識詰め込みの時代から、知識や情報の置き場所を人間の脳ではなくコンピューターや、電子ネットワーク(インターネット世界)の中に見つけたはずじゃありませんか。でも学校では、相変わらず知識を人間の脳ミソの中に置こうとしています。今は江戸時代でも、昭和でもありません。未来のはずです。 
●コンピューターが脳作業(人間の脳への知識詰め込み行動)から解放してくれる道具だとしたら
人間の知識詰め込みという脳作業の時代にさよならできる今なのに、人々はそのことに気づいていない。 知識を貯めておき、いつでも取り出したりするにはとても便利なコンピューターという道具の誕生です。そのコンピューターが人間の知識詰め込みの脳作業から解放してくれる道具なのだ。自動車の出現によって隣町の恋人に会うのに一日かかったのが30分も車で走れば会えるのだ。 10人で一週間かかった農作業がトラクターが3時間で終してしまう。 人間が作り上げた道具が、恋人への切ない思いを解消し、多くの肉体労働から人間を解放したのだ。もしコンピューターが人間の知識の置き場所としての脳の役割を解放することができるとしたら、その時こそ我々は自分の脳をもっと素敵な感性とか、芸術性、創造性や優しさ、人間の本質を育てることに使うことができるのではないだろうか? 自分の脳なのだから、自分の為に使おうよ!自分の脳なのに、他人の押しつけた情報の置き場所に使うのはやめましょう。 もし今の自分には要らないけれど、いつか役立つ時が来るような予感がする情報ならとりあえず、コンピューターにしまっておき、もしかして20年30年たったころ、ある歳になったとき、その情報が自分のために生き返るかもしれません。 
人は「知識の量」ではなく、その人の本質によって様々に輝ける時代がやってくるのだ。


2001/11/28:受験に追われ  心を休めたい君へ
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11月26日の朝日新聞の「声」の15才の少年の「受験に追われ 心を休めたい」が気になった。何となく彼にエールを送りたくなった・・・・・・
もし私が彼に返事を送るなら・・・・・
受験に追われ心を休めたい君へ  相澤君、こんにちは、私は君の3倍も生きている男です。 君と同じように空や雲、星や宇宙を見るのが大好きな45才の男です。 年齢比率は15対45、約せば1才と3才、たいして考えは変わらないよね。君のほうが考えが大人だったりするかもしれません。実はこの歳になって、今、相澤くんと同じ事を考えています。君の言う  成績とかテストの点よりもっと大切なことってなんだろうか? 今の君たちにとって本当に大切なことって何だろう。今、学校でしている授業でしょうか。良い学校に入って良い大学を出て、良い会社に入ることでしょうか?国や教育評論家たちが言う。「たくましさや優しさや生きる力を持った人間」を育てることでしょうか。国があわてて教科書を薄くし、ゆとりのある授業・・・・本当にそんなもので解決するのでしょうか。 


2001/06/17:今生きる子供達は土星旅行もできるかもしれないけれど・・・・・
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長期間にわたり、日記を書いていなかった。ずーーーっと眠っていたわけではない。 忙しかったわけでもない。HPの改良や、新しい無料HPへアップロードしたり何となくコンピューターに向かっていた時間は長かったと思う。贅沢にも時間は山のようにある。でも、本当は、やらねばならない事は、山のように有るのに、そこに婿としない。自分をごまかし、自分を見ようとせず、毎日を生きている。私は、思考を楽しみ自分の思考に、●沈むなるもの、いやナルシズムのように、感じている。自己満足の世界。これは無知がなるゆえであり、おめでたいことだと思っている。本を無数に読んでいる人は、無数の価値観と無数の思考に出会っているわけで、つまりある種の答えを(作家達が出しているオリジナルなシグナル)見た来たわけで、その上に自分のさらなるオリジナリティーが誕生するのには、ちょっとした何か?よほどのものをもっていないと思う。無知がゆえ、様々なことを知らぬが故に、自己の発見したもの(すでに6000年前にどこかの人間が考え出したこと)に酔えるのだから、私は幸せである。でもそれを、誰がののしることができようか?世のエリート達よ!君の持つ多くの知識や学んできた多くの答えの中から、果たしてあなたは、これらの中から何を生もうとしてるのだろう・・・・・・今少しアルコールが脳内に入っていて気分がいいので、これを書いている。 5年生の息子がビールとチップスをテーブルにならべて待っていてくれた。結局彼がほとんどのチップスを食べ、私は2枚だった。でも嬉しいのは、10年間生き続けた息子が、間違いなく5%くらい。日本の決めたセレモニーに従って、少しは父である私の存在を肯定してくれていたことである。昔、自分が小学5年生の時、何をしていただろうか? TVゲームも無かったし、このインターネットも無かったし、振り返ると、何もなかったそんな時代を生きてきた自分が嬉しいと思うはなぜだろう・・・・今生きる子供達は土星旅行もできるかもしれないけれど、私はかろうじて火星のフォボスあたりかもしれない・・・・振り返ると、10歳のころ、今ある物は全て無く、今は無き古き物に囲まれて生きてきた自分が嬉しいのだ。今よりは原始的な劣った真空管のラジオ(裸事嗚)やテレビ(照れ美)だけだった。でも、自分を不幸だとは思わない。  ・・・・それらの真空のガラスの向こうに赤く光るほのかなヒーターを見て育った自分だからこそ、物の無い時代を生き、だからこそ、それなりに感じて生きてこれた自分だから、ゆえに嬉しいのだ。今、毎日1億もの情報にドップリ浸かりなが生きなくてはならない今の子供達は、少し哀れ・・・・・それを人々、つまり日本人は、ITだの,画期的なこと、幸せのバラ色の人生と賞賛しているのだから・・・・・これ不思議である。あふれていることが、多量であることが、満たされていることが、幸福なこと・・・・物のない時代に生きた過去をもつ日本人の子孫だからこそ不思議にもそのことが変であるとも感じないのかもしれない。自分たちが求めてきた価値観なのだから・・・・本当に必要な物は・・・・本当に人間を幸せにするものは、何なのか?でも心のどこかで、今の世の中、今私たちが選択している社会が、真の人間が目指すゴールでないことは分かっているのだと思う・・・・・


2001/06/13:「大発明したぞ」と喜ぶ前に
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●特許庁のテキスト検索エンジン「大発明したぞ」と喜ぶ前にハイどうぞ! 特許出願料21000円損しないように・・もし今、あなたがしびれるほどのアイディアをお持ちでこれで人類は人々は楽になれる幸せになれるものがあって特許出願してみようかな?なんて考えある方は、この特許庁の検索エンジンにて平成5年から今まで質願された特許になったんものもあれば、ならないもの全てを閲覧できます。 ためしに何でも良いですからたとえば「携帯電話」など探しようもんなら山のように出てきます。同じような考えを誰しも持っているんだな・・・・とも思うでしょうし・・・こんなので特許もとれちゃうなら、私だってと自信と勇気をもらえるかもしれません。世の中考えることはみな同じ!ただし、まだまだ世に出現しないものも山のようにあるわけで、第2のエジソン、ダビンチを目指して頑張ってみてはいかがだろうか?????アイディアは科学者や専門家のみにあるものではない、工学系の教授が特許を持っているかと言えばそうでなはない。  その人間に内在する物だと思うし、決してあきらめる必要はない。

●「重苦しい重力から自分を解き放てとある」   思考リミッターについて
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宮沢賢治の言う「重苦しい重力から自分を解き放てとある」我々は、学校や社会の常識という引力によって思考にリミッターが取り付けられる。 教育にこれほど熱心な日本人がノーベル賞(何もノーベル賞が最高だとは思わないが)や人類にとっての新しい発見する人が少ないのは、その思考リミッターのせいである。そのリミッターの制御解除ができず、その重力から脱出できないのである。 人とのかかわりをおろそかにし、四角の箱の中で勉強ばかりしている人間たちはその「していた分」だけの沢山のリミッターを取り付けられ大人になっていく・・・・・・。 世の中それでちょうど良いのかも知れないね・・・・・・あんまりエキサイティングな人間ばかりじゃ芸能界もメディア社会のヒーロー達も目立たなくなっちゃう門?ね・・・・? あなたは学校で思考リミッターを取り付けられながら育ったほうですか?    でも結局何であれ、幸せならOKですもんね・・・・人生


2001/06/01:特許について
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昨日の日記を書いていたらあんまり長くなったのでこちらの「ひとり言」に書くことにした。電子出願作業が今では個人で可能となっている。まさに夢のような便利な世の中である。特許出願書を書くためには、明細書、図面、要約書などを書いていった。発明の名称はどうしよう解決しようとする問題点は?それによる効果は?図面の説明は?特許庁ではHTML形式の文章でオンラインで受け付けるようになっている。もう未来チックである。夜の10時まで受付しているのだからすごい。普通のお役所なら5時で終わっているはずなのに・・・・まさにアイディアあれば最高のシズテムである。今日出願したのは、「秘密」というのもそれくらいアイディアとは先に取られたりとにかく戦争のような物である。あああ・・・自分がズーッと前に考えていたことが、昨日誰かが申請してしまえば、先願主義の世の中ですから・・・もう手遅れということになる。 いずれにせよ同じような特許がすでに出ていないか調べないと無駄なお金、ちなみに21000円もかかる。そして本当に特許として審査してもらえるようお願いするつまり審査請求するには8万円以上もするのだから、穏やかではない。これで先にそのアイディアが出てれば、全てぱぁーーっということになる。でもこんなのは日常茶飯事なのだし、一に日何千件もの申請があるそうだし、莫大な特許申請料になるはずだし、心配だな・・・・人のゼニの心配すんな。見ろよ青い空・・・・である。自分のお金の心配でもしろですかね。 そういえば世の中、お金の余っている人っているんでしょうね・・・・うらやましいな・・・・幸せかな?  やっぱいいよなぁーーー時間だけは誰にも負けないんだけどね・・・時間が有りすぎてお金がない、働かないんだからお金が入ってくるはずがない。これ当たり前の理論かな・・・・・・昨日5月31日の午後3時少し前に特許の電子出願が完了した。記念すべき日であった。このアイディアが人々を便利に幸せにしますように・・・・心のどっかでこの発明がヒット商品となって大金持ちになりますようにと願っているもう一人の自分がいた。


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